102話:素晴らしきかなシューベルティアーデ

シューベルト(1797−1828)ドイツ生まれ、「歌曲の王」と呼ばれていることは有名ですね。外見的には身長は低く、どちらかというと肥満体で、ひどい近眼。金銭的にいつも貧しく、友人たちの家を転々とする生活を送り、そのせいかどうか、何日もお風呂に入らなくても平気で、身なりは汚らしかった...と伝えられています。

そんな風貌のシューベルトですが、実際には彼を応援する友人が大勢いたのでした。彼の陽気で楽観的な性格とこの音楽の才能が皆から愛されていたのでしょう。神学校時代の同級生シュパウン、その友人でシューベルトを客人として自宅に招いたショーバー、詩人のマイアホーファー、歌手のフォーグル、そんな仲間がシューベルトを経済的に助け、作品の初演・出版に力を注ぎました。その彼らが催したシューベルトを囲む集会のことを「シューベルティアーデ」と呼ばれたのです。

 

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シューベルト◇16のドイツ舞曲 作品33

さて、今日ご紹介する「舞曲」についてですが、このワルツのスタイルはシューベルト以前のハイドンモーツアルト、ベートーベンの時代の頃から舞曲形式の作品は実用的な目的として、彼らも書いていました。それは彼らのおかれている社会的立場からそのように義務付けられる事すらありました。やがてシューベルトの時代なり、音楽は貴族階級と離れ中産階級へと流れ、新しい友人達の集まりに即興的な楽しみ方としても用いられるようになったのです。

今日の絵画のように、シューベルトはここで自らピアノを弾き、あるいは歌い(かなりの美声であったらしい)、舞踏会となると新作や即興の舞曲を演奏しては皆を喜ばせる人気者でした。実際、シューベルトはかなりの数の舞曲、実際に踊るために作り、集中的に作曲されたのは、このシューベルティアーデが頻繁に開かれた、1823年から24年にかけてです。

シューベルトは舞曲を即興し、気に入ったものを繰り返し弾き、書き留めて出版したそうです。そうして数多くの舞曲が生前のうちに世に出たのですが、この作品もまた、早くも翌年にヴィーンのカッピ社によって取りまとめられました。

またシューベルトは四六時中五線紙と向き合う生活で、その創作力が絶えることはありませんでした。レストランのメニューの裏に友人が五線を引いて、そこに曲を書きつづっていった、などというエピソードも残っています。

演奏◇ピアノ:ブレンデル 16のドイツ舞曲

16の舞曲とは言っても、1つ1つが大変短く(平均16小節)次々と曲調(テンポと調性)が変わります。それはまるでシューベルト自身が自分を囲んでいる友人達のキャラクターを即興で表現しているかのような、さもなければ踊る舞台が次々と変わるラウンドステージのような、そんなワクワクした感じが伝わります。演奏するのも聞くのもとても楽しい作品ではないでしょうか。

 

 kumikopiano インフォメーション 

 

3'rdアルバム「My Romance」を2011年8月にリリースしました。

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言葉の無い3つのロマンス(フォーレ)/アヴェマリアピアソラ)/間奏曲作品118−2(ブラームス)/ロマンティックな情景(シベリウス)/甘い思い出・紡ぎ歌(メンデルスゾーン)/あなたが欲しい(サティ)/亡き皇女のためのパバーヌ(ラヴェル)/即興曲作品90−2(シューベルト)/愛の夢(リスト)/フランス組曲第5番より(バッハ)/精霊の踊り(グルック)/幻想即興曲ショパン)/トロイメライシューマン) 計62分 定価¥1500にて発売中。
 

今日の1曲◇ショパン:幻想即興曲 より ピアノ:本間くみ子

録音スタジオ:ソフィアザールサロン
yutubeに現在私自身の演奏を62曲アップしています

10月2日(日)午後2時半 ベートーベンチクルス室内楽演奏会チェロソナタ1番・3番/シューマン:幻想小曲集(チェロとピアノ)/シューマン:子供の情景より(ピアノソロ)他こちらもどうぞ宜しくお願い致します。